人を思う心は変わらない
おじいちゃんの他意無真心(タイムマシン)と題してみなさんに読んでいただいたコラムも、早いものでもう5回目。第1回目から全国の方々に感想をもらい、私もみなさんの心のうちを聞くことができて、とてもありがたく思っています。
インターネットという便利なものがなければ、82才の佐野じいと、若い人たちの接点なんてないでしょう…、長生きはするものですな。このコラムを通して、私は題の通り「他意無真心(タイムマシン)」で未来に行ったような気がします。
私くらいの年になると、同じ世代が集まればすぐに「昔はよかったねぇ…」とはじまりますが…。たしかに豊かになりすぎた現代は、昔には無い良い面もたくさんあるし悪い面もあるでしょう。しかしどんな時代であっても、人が人を思う心のありさま は変わらないのだなあと、私はみなさんからの感想を読んで気づきました。
家族や大切な人への思いやりや感謝の気持ちなど、若い人たちも、家族の絆をしっかりと結んでいるのだと感じたのです。
私は愛情とか思いやりっていうのはすごく尊いもので、そんな尊いものほど壊れやすくて繊細なのだと思うのです。だからこそ、ほっておいちゃだめ。大切に育んだり、守ったり、大事にする必要があります。
まず親が手本に
子は親を映す鏡、といいますが、思いやりのある子を育てたいと思っているならば、まず親が手本になることです。思いやりとは、甘やかすことや、優しく接することではありません。時として、子供のやることに手を出したい気持ちをおさえて、じっと見守ってあげたり、時間がかかっても子供自身が答えを出すまで待ってあげたり、親にもがまんが必要なときがあるでしょう。がまんは思いやり。親も子もがまん することを身につけ実践することで、考える力や相手を思いやる気持ちを育てていくのです。
親だって、もともとは子供だったのですから、本来は子供の気持ちがわからない親なんていないと思います。自分が子供の頃だったときの気持ちを思い出せば、子供の心を知るヒントになるのではないでしょうか。
私には姪っ子がいますが、時々私の暮らしぶりをのぞきにきては、小さい頃の話しをします。姪っ子が小学生のころから、私は今みたいに、心のまま話しをしていたようで、「おじちゃんは昔から変わってないよね、小さいときは難しすぎて何を言っているのかよくわからなかったけど、今ならよくわかるよ、大事なことを言っていたんだね」と話してくれました。
大事なことは昔も今も変わらない。親と子の関係も、家族のきずなも。人間にとって尊いものは、今も昔もずっと変わらない、だからずっと大事にしなきゃいけないんですね。
前の物は粗大ゴミに…
私は、カメラで風景や人を撮ることが昔からの趣味でした。放射線技師として働いていた職場には暗室があったので、撮った写真は自分で現像液を作って焼いていたくらいです。写真は数えきれないほどありましたね。妻が生きていた当時は、毎年旅行先の写真をもとに手作り年賀状をこしらえたりして。今はもうほとんど撮ることもあり ませんが、活躍したカメラはずっと手元に置いてあります。愛着があってどうも捨てきれないんですね。
他にも、妻との結婚式にいただいたときのちゃぶ台も、足を直し直し使っていますし、時計も、タンスも、家の中にあるものはほとんど、妻と昔から愛用していたもの ばかりです。よく人から、愛着があるんですね…と聞かれますが、たしかに愛着もあるし、特別に買い替えなくてもそれで用が足りるという考え方もあります。
でも、今の時代は物にもあまり愛着をもたないのか、世の中のニュースを見ていると、ペットだって飽きたら平気で捨てるし、新しい物がでてくれば、壊れていなくたって買い換えて、前の物は粗大ゴミになっちゃうんですね。
そんなとっかえひっかえの時代ですが、私は愛着って、どちらかというと物よりも人間関係での愛着の方がずっと大事じゃないかと思っています。
人間関係での愛着
人間関係が面倒だったり、相手が反発して自分と違う意見をもっているなんて、違う人間同士だから当たり前のことです。それだけに、嫌いになったら離れてしまうから、愛着をもつことが大事なんじゃないのかな。
何かの縁で出会ったわけで、そこから喜怒哀楽を共に培って愛着のある人間関係を築き上げられたら、と思います。愛着は、過程の中で、時間の中で育まれていくので、今日明日で生まれるものではありません。その人と過ごしたり接したりする中で愛着 がわいてくるわけで、それは家庭だけじゃなく、学校だって職場だって友人同士だって、いろんな人と人との愛着が生まれて当然なんです。
そう考えたら、物よりも人間。人間関係に愛着をもてる生き方ができたら、物がこの世の中から消えても、心が残っているから、さびしくないし、充分しあわせなんじゃないのかな。
妻との思い出の物は色々ありますが、82才になった今でも鮮明に思い出されるのは、物ではなくて妻との会話、妻との喜怒哀楽の人生です。
私も、これから出会う人たちと、愛着をもって人生過ごしていきたいと願っています。