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第4回 子どもを伸ばす環境をつくろう ?敏感期にあった環境を整えることが子どもの可能性を広げます?

 幼児期に子どもの中からあふれ出る特殊なエネルギー「敏感期」についてお話ししてきました。お母さんもモンテッソーリの子どもの見方を知ると、日常の中で我が子に訪れた「秩序の敏感期」や「運動の敏感期」の姿を、これがそうなんじゃないかしらと、気づくことが増えていくと思います。
 子どもは、何もできない存在としてこの世界に生まれてきます。そして、ひとりで様々なことができるようになろうとします。「自立」に向かって歩み出すのです。ところが、これは家庭ではいたずらや困ったこととして現れることが少なくありません。ドレッサーの引き出しを開けて口紅のふたを開けて家具に塗ってしまったとか、お友達のうちに遊びに行ったら壁に名前を落書きしてしまったとか、おかあさんにとっては叱る対象になることがいっぱいです。
 でもこれは自分の意志通りに体を動かすことができるようになりたいという、耐え難い衝動としての行動であることを心にとめておいていただきたいのです。

 モンテッソーリは出会った子どもを観察し、「なぜそうするのか」疑問を持ち、その科学者としての優れた知性をフルに働かせて研究に取り組みました。そして、生理学や生物学などの知識を元にその根拠を明らかにしていきました。その中で子どもの敏感期に見合った環境の場として整えられていったのが、モンテッソーリの作った子どもの家でした。

 モンテッソーリ教育の場では、子どもの敏感期にあわせて環境を準備します。その分野は、「日常生活の練習」「感覚教育」「言語教育」「算数教育」「文化教育」に分かれています。この5分野は、それぞれ子どもの「運動の敏感期」「感覚(五感)の敏感期」「言葉・文字の敏感期」「数に対する敏感期」「文化に対する敏感期」に対応したものを体系化したものです。
 どれも、幼児期という子どもが自ら育とうとしている時期に、それを助けるべく見合った環境を整えるという立場から生まれました。

その中で、基本となっているのは
 1. 子どもを観察し「なぜそんなことをするのかしら」と疑問をもつ。
 2. 子どもが必要としている行動を安心してできるような環境を整える。
 3. その活動を、子どもが理解して一人でもできるように、やり方をわかりやすく示す。
という考え方です。
 この環境の中で、子どもたちは自分の興味に沿ってひとりでいろんなことができるように成長していきました。
 モンテッソーリ女史の発見は、私たちにも追体験することができます。環境を整えることによって、子どもの可能性を広げていくことができるのです。

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新宿区河田町にあるWASEDA Frontier Kids Learning Centerの園長、橋本 恵理が、自らの子育て経験を活かし、モンテッソーリ教育の内容を身近な例を挙げながら紹介。「個性と自立心を養う」教育法であることをお伝えしていきます。

<橋本 恵理 (はしもと えり)> 早稲田大学理工学部卒業。大手保育事業会社にて認可保育園や駅型保育所などの立ち 上げ経験を持つ。2003年、幼児教育におけるベンチャー企業である?フューチャーフ ロンティアーズ取締役(COO)に就任。現在、新宿区河田町にモンテッソーリメソッ ドをベースに日本人を対象としたインターナショナルスクール WASEDA Frontier  Kids Learning Centerの園長として、また2児の母としても活躍中。

第6回 「クレヨンの肌色」

新年おめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

我が家では二人の娘がワシントン州の大学から戻り、皆でおせち料理を作りました。皆様もご家族と共に素敵なお正月を迎えられたことと思います。海外に住んでいる日本人にとって、日本人であることを一番強く感じさせられる時季はやはり年末年始ではないでしょうか。言葉を言い換えれば、この時季に日本の文化習慣が家族との繋がりと共に一番強く生かされているのでしょう。
それは、自分が今属している社会と自分がかつて日本で体験した生活習慣が余りにも異なることから感じる現象とも言えます。下記のハワイのお正月に詳細を記述しますので、そちらも読んで下さいね。

さて、皆さんのお手元にクレヨンの箱がありますか?お子さんのクレヨンの箱をちょっと覗かしてもらって下さい。その中のクレヨンで薄いピンク色でベージュにちかい色がありますか?あったらその色の名前を調べてみて下さい。以前その色は、「はだいろ」と呼ばれていました。「肌の色」の意味の「はだいろ」です。
私の二人の娘が日本で幼稚園に通っていた頃、人間を描くとその色で顔、手足を塗っていました。ところが、娘たちの肌の色はもっと茶色っぽいのです。父親にそれを指摘されて、自分を描くときは「はだいろ」のクレヨンの上から「茶色」のクレヨンを重ねて塗るようになりました。今までそれに気がつかなかった私は、ショックでした。人間の肌の色を「はだいろ」のクレヨンで塗ることに慣れすぎていて、いつの間にか肌の色は「はだいろ」と、概念が自分の中で固定化していた事実を知って、それにショックを受けたのです。日米の子どもの描いた絵を比較すると、日本の子どもの人物画は総て黒い髪に「はだいろ」の肌であるのに対し、アメリカの子どもの描く人物画は髪の色、目の色、肌の色が色々です。

現に私自身も経験がありますが、ヨーロッパ留学から始めて日本に戻った時、羽田国際空港に出迎えに来ている日本人の群集を見た途端に全員が同じ顔に見えてしまいました。目に入った人皆が同じ髪の色、肌の色で、顔も平べったいし……カルチャーショックでした。暫くしてその場の雰囲気に慣れてくると、一人一人の違いが解るようになりました。でもこの時の最初のショックは痛烈でした。
なにしろ地球以外の惑星に着いてしまったのかと、思えるほどでしたから……。

日本の園児達が、周囲の人物を描くのに黒い髪、「はだいろ」の肌を色つけるのはごく自然のことです。でもこの「はだいろ」が、『人間の肌の色である概念』を植えつけて固定化してしまうことは、日本の子供たちが将来色々な国民や民族の人達と接する時に邪魔になるのではないかと、私は心配になりました。
そこで私は、日本のマスコミやクレヨンメーカーに「はだいろ」の名称を変えるように訴えました。様々な関係者の方々が私の指摘に注目し賛同されましたが、私が10年前にハワイに移った後も日本のクレヨンの「はだいろ」の名称は変わっていませんでした。ところが最近、国際結婚グループの方々とインターネットで交信していた時、クレヨンの「はだいろ」が5年程前に呼び方が変わったことを教えられました。アメリカではペイルオレンジとかペイルピーチとか呼ばれていますが、日本のクレヨンメーカーはどの様な名前をつけたのでしょうか?

たった一つのクレヨンの名称でも、子ども達へは大きな影響があることを皆様にはご理解いただけるかと思います。人と自分の違いに気づいてくる幼稚園児は、まだまだ柔軟な思考をもっています。大人の固定観念を植え付けるのではなく、違いと正しく向き合うことを教えて上げることが、大人の役目だと思います。
子どもが自分と異なる人を恐れたり、避けたり、必要以上に興味本位の好奇心を向けたりした時、お父さんやお母さんの言葉や態度で子どもの気持ちが安らぐものです。つまり、お父さん、お母さんが異なる人を恐れたり、避けたり、興味本位の非健康的好奇心で接していれば、お子さんも同じように反応してしまいます。
未来の社会を築く子供たちが、様々な人と対等に接し、建設的に人間関係を広げ、豊かな人生が送れる平和な社会を望むなら、私たち大人が大人としての役目を果たす必要がありますよね。難しく考える前に、先ずはお子さんと一緒に楽しく行動してみて下さい。その方法ですか? 前回お話したように、お子さんと一緒に健康的好奇心を膨らませることです。知らないことがあれば、お子さんの前で相手の人に聞いたり、お子さんと一緒に書物で調べたりしたら新しい発見があるはずです。時と場合によっては、お子さんの意見やイマジネーションを尋ねることによって、あなた自身が新鮮な驚きを受けるかも知れませんよ。

娘たちの幼稚園での後日談があります。長女が卒園の時、次女も幼稚園を辞めることになったので、お別れにクラスの園児たちが次女に絵を描いて贈ってくれました。「マミー、みんなからの絵だけど面白いよ。私の顔は茶色だけど手と足が〔はだいろ〕になっていたり、顔も手も茶色だけど首だけ〔はだいろ〕になっている絵もあるよ。」次女の指摘に私もそのリボンで束ねられた20枚の絵を見せてもらいました。今まで「はだいろ」しかなかった子ども達の『肌の色』の固定観念が、崩れかけた証拠です。次女は大事にその絵の束を抱えていました。その次女は、将来教育者になって色々な国の子供たちに色々な世界のことを教えたいと、目下大学で勉学に励んでいます。

ノブコ タカハシ ムーア
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<ハワイのお正月>

12月半ばになると、スーパーマーケットには竹松で出来た卓上用の門松が少し並べられます。そしてクリスマスが過ぎると、一気にお正月の食材が増えてきます。とは言っても、日本のような賑わいを想像しないで下さい。ハワイ人口の四分の一ほどの、しかもその中でも熱心に日本文化継承主義者のみがこれらの品、雑煮用の餅やみずな(ほうれん草や三つ葉の代用品でハワイでは雑煮に良く使われます。)、ミニ鏡餅、正月用縁起の絵(七福神や鶴亀など)を購入するようです。
私は私流の演出をするので、余りこれらの品々とは縁がありません。又、日本から来ている日本人の方で余裕のある人達は、こちらの日本料理店で本格的おせち料理を予約する人もいるようです。といった具合で、お正月の盛り上がりは日本に比べたら間が抜けたように静かです。大方の人達は、大晦日にパーティーを盛大にするので、もっぱらの寝正月かリラックスの日です。でも、日本人や日本文化のバックグランドにふれている人の中には、テレビの紅白歌合戦を欠かさず見たり、ホノルルにある神社に初詣に行ったりするようです。
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多民族社会ハワイから異文化理解に役立つ情報を発信している スクール ハウス インターナショナルの運営者です。異民族間 結婚の家庭で育つお子さんの生活環境、多民族化がすすむ日本社会 で国際人教育を必要とされている日本の子どもたちの家庭環境を 一日も早く整えるために、自分の体験に基ついて語ります。 ご参考にしていただければ、大変嬉しいです。

<ノブコ タカハシ ムーア>
関東学院女子短期大学英文科卒業後、デンマークのInternational Peoples’ College で 23カ国の学生と共同生活をしながら、国際理解、国際平和を学ぶ。帰国後 民間ユネスコ活動に出会い以来30年間日本社会の国際化の最先端で様々な 国際交流プログラムを企画実施する。1993年3人の子どもたちの学校教育の為 ハワイに移民。同年それまでの体験をまとめた「集まれ!地球の子ども達」を出版。 School House International のホームページはこちら>>

第8回 愛のカタチ

皆様 こんにちは!!

クリスマスのデコレーションがあちらこちらで目に付くようになりました。もう12月、今年も残すところあと1ヶ月で終わりです。今年も、いろいろなことがありましたね。
特に、ここのところ毎日のように流れてくるニュースの中から、私鎌田が一番悲しく思っていることは、人と人の関係が日に日に希薄になってきていることです。
親と子、お友達同士、職場での人間関係、地域の人との関わりなど、皆どうしてしまったのだろうと思います。
そんな訳で、今年最後の皆様へのメッセージは“愛”について、考えてみたいと思います。

幼稚園児をお持ちの皆様に、かつて皆様がお医者様から「おめでたですよ」と言われた時の喜び、そして10ヶ月間お腹の中のお子様と一心同体だった時のこと、やっと外の世界へ出してあげてお子様自身が自分の力で呼吸できた時の感動など、全てがほんの5?6年前のことですよね。

でも、いざ産まれてくればきたで、お腹がすいたといっては泣き、おしっこが出たといっては泣き、眠いのに眠れないといっては泣き、ママ以外の人に抱かれるのはイヤといっては泣き・・・・。

それも、何度も経験を積んでだんだんに理解できるようになったということであって、最初は「どうして泣くの?」「どうしたら良いの?」と戸惑いながらの連続であったことと思われます。

その頃はさぞかし大変な毎日であったことでしょう。でも、それをなさってこられたからこそ今があるわけで、そんな経験がいかに大切か、言い換えれば、親が一人前の親になるようにお子様に育てられてきたとも言えると思います。

確かにお子様も一己の人格を持った人間です。しかしながら、他の動物に比べると、はるかに成長は遅いのです。人間として、一人前になるまでは親がきちんと育てていかなければならない責任があります。

基本は以下の三点です。
1. 丈夫な身体をつくること→身体に良い食事を与えること
2. 社会で生きていくための知識や技術を身に付けさせること→年齢に合ったルールや学問を身に付けさせること
3. 命の貴さを教えること→自然界の成り立ちを教えること

もちろん、この三点にはたくさんの枝葉がついていく訳ですが、たったこの三点をお子様にきちんと与えていらっしゃらない親御様が増えてきているように思えるのです。
食事一つをとってもそうです。丈夫な身体をつくるための食事って何でしょう?もちろん、バランスの良い食事ですよね。全て手作りでなくても構わないのですが、外から買ってきたお惣菜ばかりというのもどうでしょう・・・。
お母様が、家族の為に一生懸命にお料理を作っている姿を見た時、お子様はどう思われるでしょうか。「何を作ってくれるのかな」とワクワクし、食べた後には「作ってくれて有難う」と、感謝の気持ちを持つことでしょう。それに対してお母様は、「ちゃんと食べてくれて有難う。作った甲斐があったわ。」と思われることでしょう。
これが“愛”なのです。相手のことを思いやり、相手の為に何かをしてあげること、そして相手もそれを受け入れること、感謝の気持ちを持つことなのです。家族の中からそうした人間関係を築き、相手への思いやりを覚えさせていくことが、まさに前述の三点の子育ての基本なのではないかと思います。
難しく考える必要は全くありません。ただ、ちょうど今、幼稚園児をお持ちの親御様にとってはそれを教えるベストタイミングであることは間違いありません。是非、口に出して、声に出して、教えていってあげて頂きたいと思います

もうすぐ新年、どうぞ皆様、良いお年をお迎え下さい・・・・。

株式会社サマンサ 代表取締役 鎌田妙子
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元保育園園長、鎌田妙子が、今まで学んできた子育て理論や体験談などをもとに、子育ての悩みどころに対してアドバイスしていきます。毎回身近な事柄をテーマに、子育てアドバイスをお届けしていきますので是非ご覧ください。

<鎌田妙子> 1975年、北海道大学教育学部発達心理学研究室終了、認可施設 財団法人慈愛会保育園園長として9年間勤務。施設型保育の限界を超えるべく1986年独立。当時、日本では珍しいベビーシッター事業を立上げ、現在オフィス鎌田の代表として活躍中。

第5回 「概念を壊す好奇心」

ALOHA! そしてMele Kalimimaka!(ハワイ語のメリークリスマスで、この時季のハワイでの挨拶言葉です。メレ カリキマカと発音します。) 日本では師走、こちらでもクリスマスのデコレーションが人々の気持ちを急き立てます。熱心な家では個人宅でも豪華なイルミネーションを飾りますし、ホノルルの官庁街は様々なクリスマス・デコレーションで南国のクリスマスを楽しく演出してくれます。さて今日は皆様と「既成概念を壊す好奇心」というテーマでお話をいたしましょう。

ハワイは太平洋の真ん中の島ですから、皆さんのハワイのイメージも海や海岸がほとんどだと思いますが、「えっ!これがハワイ?」という景色に出会うこともしばしばあります。例えば、ハリウッド製作映画のアフリカや中南米のシーンが、ハワイで撮影さていることをご存知ですか? ハワイには熱帯、亜熱帯の植物が茂るジャングルみたいな景色があるのです。全く海の見えない、緑がうっそうと茂った山の中や林に入ると、自分が今地球の何処にいるのか忘れそうです。又、全米で個人所有の一番大きな牧場は、ハワイ島にあり、そこにはハワイアン・カーボーイが西部劇さながらの格好で、今でもちゃんと牛を追っています。
以前私たち家族は谷間にある家に住んでいましたが、そこからの景色は、いつも私にかつて住んでいたスイスを思い出させました。ね、ハワイにも色々なハワイがあるんですよ。人間は常に同じ情報ばかり受信しているといつの間にかそれがその人の固定観念となり、やがて社会概念となって違いを受け容れ難くなってしまいます。つまりハワイと言えば青い海とやしの木のようなイメージしか浮かばなくなってしまいます。ですから、大人になると頭が固い、つまり固定観念で想像力が固まってしまうのでしょう。

でも、子どもの頭脳はその点柔軟です。大人の固定観念を子ども達に植え付けてしまう前に、子どもの頭脳の柔軟性に学びたいものです。子どものように素直に喜怒哀楽を表現出来たら、大人のストレスも大いに減るのではないでしょうか。
しかし、所詮大人は大人としての振る舞いをせざるを得ないようですから、せめて頭脳を柔軟に出来るような訓練をしておきたいものです。そのためには、子どもと同じように好奇心をもつことだと思います。その好奇心も、他人のプライバシーに鼻を突っ込むような興味本位の非健康的好奇心ではなく、知的想像力を刺激するような健康的好奇心でなくてはいけません。

例えば、クリスマスは、皆さんもご存知のように冬の景色、サンタクロースやトナカイも北国のイメージをもたれるのが普通でしょう。でも、ハワイにもサンタクロースがいるとしたら、一体どんなイメージをお持ちになりますか?ホノルル市庁舎前に毎年設置される大きなミスター・サンタとミセス・サンタは裸足になって水に足を浸しながら、道行く車や人達にシャカサイン(ハワイ式手の挨拶で、握った手の親指と小指を立てるサイン)をしています。トナカイの代りにイルカに乗ったり、水着でサーフボードに乗って波の彼方からやってくるサンタクロースもいます。クリスマスツリーはもみの木がアラスカやカナダから運ばれてきますが、本物のやしの木にイルミネーションをつけてクリスマスツリー風にデコレーションするのもあります。今年はとうとう、イミテーションのやしの木クリスマスツリーが発売されました。クリスマスリースを貝殻で作る人もいれば、ハワイアンスタイルのクリスマス・ソングもあります。

私はデンマークやスイスでクリスマスを過ごしたことがあるので、ハワイの南国のクリスマスが中々馴染めませんでした。他のカルチャーをとって付けたようなごちゃごちゃの文化習慣に、ハワイに来たての頃は嫌悪感さえ抱きました。でも、どうやらそれは私のカルチャー・ショックだったようです。年と共によくよく観察すると、知的想像力を刺激される健康的好奇心によって、ハワイらしいクリスマス・デコレーションやクラフトに感心させられるようになりました。

異文化と接するとき健康的好奇心は、とっても重要な役割を果たします。子どものように柔軟な頭脳を維持する訓練のためにも、ここで幾つかの例を上げましょう。

その1.
この季節にお子さまとハワイのクリスマスのイメージごっこをするのも楽しいと思います。私がご紹介したハワイのクリスマスのお話を基に、どんどんイメージをお子さまと一緒に膨らませていって下さい。

その2.
西オーストラリアのパースに住んでいた時、北極と南極が逆さになった世界地図を見つけたことがあります。私たちが北半球で見慣れている北極が上になった地図と異なり、南極が上になった地図を想像したことがありますか?世界が全く違った形に見えます。(これは幼稚園児より少し高学年向きです。)

その3.
ハワイで行なった親子参加の異文化理解プログラムで、北欧の春の話の絵本を読んだことがあります。太陽のない長い冬をすごした人々が、太陽が戻ってくる季節を心から待つ気持ちを語っているのですが、ハワイの子ども達には実に印象深くこの話が受け取られました。きっと毎日太陽を見ている子供たちの知的想像力を刺激したのだと思います。このように絵本を通してお子さんと一緒に異文化体験をすることによって、あなたの健康的好奇心も養われます。(そんな絵本を私のウエブサイトに集めてあります。http://www.shihawaii.com のアメリカコレクションのページです。)

その4.
コスミックカレンダー!今は亡きカールセーガン博士が書いたこのカレンダーは、宇宙の誕生ビッグバンから現代までの150億年を一年の単位で表現しているカレンダーで、地球に人類が誕生したのは12月31日の午後10時30分、人類の記憶している有史は最後の10秒間なのです。あるプログラムで、このカレンダーを具体的に子ども達に教えるために、私はロープの長さを一年にして子ども達に引っ張らせたことがあります。最後の最後に人間の歴史の文字が見付かった時、子ども達は叫びました。『地球をつくるのはこんなに時間が掛かっているんだから、地球を壊さないようにしないといけないね!』子供たちの素直な叫びに私は深く感動させられました。

新しい年、2004年が、皆様とご家族、そして地球にとって平和で健康な一年となりますように心からお祈りいたします。来年もまたお付き合いのほど、宜しくお願いいたします。
 
ノブコ タカハシ ムーア
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<ハワイの12月>
多民族社会ハワイでは、それぞれの民族によって祝いの行事は様々に分かれますが、一番盛り上がるのはクリスマスです。これは西洋のクリスマスの習慣と東洋の年度末の贈り物交換の習慣が融合した結果です。日本の師走の忙しさがそのままハワイにも起こります。正式には中国の旧正月は2月にあるのですが、中国系の人達は12月31日に盛大な爆竹の音で新年を迎えます。爆竹の音で新年を迎える習慣は韓国系の人達にもあるようで、ホノルルはこの音と煙が大きな社会問題となっております。ペットの動物たちが音に脅えないように、爆竹の火で火事が起きないように(毎年数十件の火事があります)、風のない時は車の運転も要注意。花火や爆竹の煙で視界がさえぎられます。幾ら大きな社会問題でも、中国系、韓国系の人達にとっては伝統習慣。しかも音が大きければ大きいほど悪霊が去ると考えられているのですから、規制が難しいようです。12月のハワイに来られる方、夜のイルミネーションを楽しむのは12月31日だけは避けるようにお勧めいたします。
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多民族社会ハワイから異文化理解に役立つ情報を発信している スクール ハウス インターナショナルの運営者です。異民族間 結婚の家庭で育つお子さんの生活環境、多民族化がすすむ日本社会 で国際人教育を必要とされている日本の子どもたちの家庭環境を 一日も早く整えるために、自分の体験に基ついて語ります。 ご参考にしていただければ、大変嬉しいです。

<ノブコ タカハシ ムーア>
関東学院女子短期大学英文科卒業後、デンマークのInternational Peoples’ College で 23カ国の学生と共同生活をしながら、国際理解、国際平和を学ぶ。帰国後 民間ユネスコ活動に出会い以来30年間日本社会の国際化の最先端で様々な 国際交流プログラムを企画実施する。1993年3人の子どもたちの学校教育の為 ハワイに移民。同年それまでの体験をまとめた「集まれ!地球の子ども達」を出版。 School House International のホームページはこちら>>

第7回 お受験の秋 PART?

皆様 こんにちは!!

 先月号のお受験についてのお話しは如何でしたか?実は、お受験に関しては、まだまだ続きがあるのです。お受験をするには、受験番号というものが必要となり、それを頂きに行かなければならないというお話しです。

今回は、そのお受験番号を頂きに行く際の注意点とお受験グッズについてのお話しをさせて頂きたいと思います。

「もしもし、あの、例えばベビーシッターさんにお受験の番号を取りに行って頂くなんてこと、お願いできますでしょうか?」とのお問い合わせ・・・・。「もちろんお引き受けできますが、その場合は、家事代行サービスでお引き受けさせて頂くことになりますが・・・」との応対に「もちろん結構です」と即決定。

雨の当日、始発電車に乗って現地に着いたのが午前5時50分、既に私の前には10人ほどのご父兄が・・・・。負けた!と思いながら、「あの、お父様は何時にいらしたのですか?」と、一番乗りのお父様に尋ねると、「午前3時30分からです」とのこと・・・。傘を差し、鞄を肩から下げ、片一方の手をポケットに突っ込みながら、(その日は実際に寒かったのですが)寒そうなお顔で答えて下さいました。

きっと、会社へ出勤前のお手伝いだったのでしょう・・・。“わが子のためなら何だってできちゃうぞ”と言った感じでした。

そうこうして、午前8時30分になり、ようやく学校の構内へ誘導され、そこでまたしても、4列に並ばされて待つこと1時間30分。その間に手馴れたご父兄は、袋からサッと折りたたみの椅子を広げ、持参してきた本や新聞を広げて静かに待っておられます。慣れていない私や一番乗りだったお父様はずっと立ったまま・・・・。そうか、お受験グッズがあるんだな、そこで初めてわかった私でありました。

そして、やっと「皆さん、こちらで順番に番号札を引いてください」というアナウンスが・・・。「これで終わりだな」と思った私は考えが甘かったことを知ることになりました。またしても、「番号札を引いた方は体育館にお入り頂き、引かれた番号のところへお並び下さい」。「えっ、まだあるの・・・」と思いながら中へ入ると、既に多くのご父兄が番号順に並んでいるではありませんか・・・。次のアナウンスに私は「えっ!!」という思いにさせられるのでした。

「それでは、これからお持ちの番号順に受験番号を引いて頂きます」「何?これって受験番号を引くための番号札だったの?」体育館の中を見まわすと、あの寒そうに立っておられた一番乗りのお父様がなんと100番代に並んでおられるではありませんか・・・・。

可愛そう過ぎ・・・と思ったのは私一人だけと見えて、皆知らんふりです。申し訳ないのですが、私が引いた番号は、最初の番号札が71番、肝心の受験番号は122番でした。

「どうしよう・・・、受験番号は100番までが良いと聞いていたのに・・・・」

そのお子様は結果的にはお受験に合格したのですが、あの時の一番乗りのお父様の気の毒だったことと、実に受験番号を取る為だけにかけた時間は延々6時間だった(前述のお父様は8時間20分以上だった)ということ、そして、お受験って、当日までにみっちりとお勉強をしなければならないお子様も大変ですが、当日までにいろいろと準備をしなければならない周りの親御様や関係者も大変なんですよというお話しでした。

これからお受験の皆様、どうぞ、くれぐれもお受験グッズのご持参とお身体だけは大切に・・・・。
頑張って下さいね!!

株式会社サマンサ 代表取締役 鎌田妙子

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元保育園園長、鎌田妙子が、今まで学んできた子育て理論や体験談などをもとに、子育ての悩みどころに対してアドバイスしていきます。毎回身近な事柄をテーマに、子育てアドバイスをお届けしていきますので是非ご覧ください。

<鎌田妙子> 1975年、北海道大学教育学部発達心理学研究室終了、認可施設 財団法人慈愛会保育園園長として9年間勤務。施設型保育の限界を超えるべく1986年独立。当時、日本では珍しいベビーシッター事業を立上げ、現在オフィス鎌田の代表として活躍中。

第2回 「運動の敏感期」について ?子どもの困った行動、それは「敏感期」の現れかもしれません?

 幼児期と呼ばれる6歳ころまでの時期、子どもには、抑えがたいほど強い感受性が現れます。これを「敏感期」と呼び、引き起こされた行動はおとながびっくりするほどの集中力をもち、没頭するほどの強いエネルギーを秘めています。

 お子さんとの生活の中で、何か静かだなあと思ったら子ども部屋の一番下の引き出しから洋服を全部引っ張り出していたとか、台所で下の棚からタッパーを取り出してふたを開けるのに夢中になっていたとかいう経験はありませんか。

 これは、お子さんが自分にとってもっとも必要なものを環境の中に見つけて、エネルギーを燃え上がらせ関わり始めた姿なのです。もっとも必要なものが洋服?タッパー? いえいえそうではありません。ここで言うもっとも必要なものとは「動き」です。手や腕を使ってものを引っ張る動き、あるいは指先を使ってものを開ける動きがしたいという内面からの欲求の現れ、すなわち「運動の敏感期」が訪れた姿なのです。

 この場合の「運動」には、寝返りやハイハイ、立つ、歩く、走る、などの体全体を使った大きな動きから、わざと縁石の上を歩きたがるとか重いものを運びたがるといったバランスが必要とされる少し高度な動きまで、さまざまな「運動」が含まれます。また引き出しを開けるなどの手や腕を使う動きや、糸屑をつまんだり隙間に物を詰め込んだりする指先の細かい動きも、幼児期に子どもが好んで行う「運動」です。

 子どもは、その脳の発達に伴って階段を一段一段上っていくように動きを習得していきます。動きに関わる必要なものを環境の中から選び取ってそれぞれの機能を充分に発達させていくのです。親の都合とはおかまいなしに動き回ったり、歩きたがったりする背景には、実は「運動の敏感期」という自然の法則が存在しています。

 子育てをしているお母さん、お父さんは、このような乳幼児期特有の行動や感受性をふまえて、お子さんを観察してみてください。この時期の不思議な行動の意味を理解し見守る、さらには観察によって、この敏感期に対応する環境、子どもが集中して活動に没頭できる環境を作るというのが、モンテッソーリの考え方です。子どもの「敏感期」に気づいたお母さん、お父さんはきっとそれまでより子育てが楽しくなるのではないでしょうか。

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新宿区河田町にあるWASEDA Frontier Kids Learning Centerの園長、橋本 恵理が、自らの子育て経験を活かし、モンテッソーリ教育の内容を身近な例を挙げながら紹介。「個性と自立心を養う」教育法であることをお伝えしていきます。

<橋本 恵理 (はしもと えり)> 早稲田大学理工学部卒業。大手保育事業会社にて認可保育園や駅型保育所などの立ち 上げ経験を持つ。2003年、幼児教育におけるベンチャー企業である?フューチャーフ ロンティアーズ取締役(COO)に就任。現在、新宿区河田町にモンテッソーリメソッ ドをベースに日本人を対象としたインターナショナルスクール WASEDA Frontier  Kids Learning Centerの園長として、また2児の母としても活躍中。

第4回 「お辞儀と握手」

ALOHA!日本では秋たけなわの季節ですね。南北に長い島の日本では、地方ごとに秋の特色も異なる自然豊かな国ですが、この自然の豊かさは正に日本人にとって宝物です。この季節にこそ、大自然の恵みに感謝出来る生活、そんな気持ちになれる体験をお子さんに沢山させて上げて下さい。

さて、皆さんの日常生活での挨拶はやはり会釈やお辞儀なのでしょうね。最近は、躊躇せず手を出して握手する日本人の方も増えてはいるようですが、やはり日本社会の中で日本人とする挨拶は日本の習慣に支配されるのが当然でしょう。ただその習慣を日本人以外の人にも強要したり、日本の外でも期待したりすると、異文化摩擦の原因にもなりかねません。日本国内だけを見ても、日本社会が日本人だけではなく異文化の背景をもつ人達からも構成されており、さらにその人達の数が急速に増えている事実を無視できない今日の状況です。

私の娘たちが日本で幼稚園に通っていた頃、彼女たちの幼稚園では帰宅前に担任の先生と挨拶をすることになっていました。先生の前に園児達が一列に並び一人ずつ先生にお辞儀をしてから帰りました。その光景に疑問をもった主人の要望もあり、娘たちとも話し合って、私どもの娘の挨拶はアイコンタクトをしながらの握手を希望しました。二人の娘の担任の先生は理解して下さり、それ以来お辞儀の列の間に握手が入りこみました。ところがバスの送迎の時に付き添った先生は、担任の先生ではありませんでした。バスを降りて先生に手を出した娘の頭を、いきなり手で押さえつけて下げさせました。その若い女性の先生は、お辞儀だけが挨拶だと思っていたのでしょう。帰宅した娘の不満を聞かされた私は、その先生に説明をいたしました。彼女は素直に理解をして下さり、「色々と教えてくださり、ありがとうございました。」とお礼まで言われました。それ以来娘たちは、その先生とも仲良しになりました。

私が始めて日本を離れたのは30年前、デンマークに留学した時でした。そこでは、みんなが良く抱擁の挨拶をしました。初め私には抵抗がありましたが、3ヶ月もすると慣れてしまいました。しかしこれは、共同生活している学生同士という関係もあったようです。その後スイスで生活した時は、デンマークの学生同士ほど抱擁の挨拶が日常化してはいませんでした。それだけに、スイスの下宿を出る最後の日に、電車の中まで見送りに来てくれた下宿のマダムから抱擁された私は、涙が止まりませんでした。その時まで彼女は日本人の私に抱擁の挨拶を遠慮していたのでした。でも彼女の気持ちを表すのは、やはり彼女なりの挨拶が一番だったのです。気持ちが通じ合えば挨拶のスタイルの違いも受け入れるようになるものですね。それでも日本以外の地で日本人同士で挨拶する場合は、やはりお辞儀です。おもしろいもので、この習慣はお互いに日本人であると認識すると自然に頭を下げてお辞儀をする様になるようです。この場合でも、頭を下げる前に必ずアイコンタクトはあります。

さてハワイでは、首にレイをかける挨拶が一般化しています。レイをかけた後、抱擁するか、頬にキスをするか、又握手になるか、それは相互関係の親密度とケースバイケースによりますが、ハワイに住むとどの人種も自然このスタイルの挨拶に慣らされていきます。レイをかけるのは特別な機会、例えば誕生日、何かの記念日、歓迎の意味、特別な祝い、卒業式、結婚式、等ですが、平日の挨拶はレイなしでの 「ハイ!」と言ったアイコンタクトの挨拶、親しければ抱擁や頬のキスとなります。一般的には、東洋系の人達同士ではスキンシップを伴う挨拶は余り一般化していませんが、若い世代間では人種に関係なく抱擁の習慣が一般化しているようです。ハワイの人達は様々なスタイルの挨拶に慣れており、この点でも寛容的です。私のこちらでの耳鼻咽喉科の専門医師は、インド出身の方(?)なのか、始めて会った時、アイコンタクトの後両手を合掌して頭を下げられました。日本でタイの留学生からこのスタイルの挨拶を受けたことはありますが、合掌の挨拶に慣れていない私はとっさに頭を下げて今回も答えました。世界各地に様々なスタイルの挨拶はありますが、どの挨拶でも挨拶の真心を伝えるためにアイコンタクトは重要な役割を果たしているようです。

ただ挨拶のスタイル以上に気になることは、挨拶も出来ない社会環境に日本がなりつつあることです。私の息子が2歳未満の時、オーストラリアで父親と過ごして父親の挨拶する人には小さな手を差し出し握手をする習慣を身につけました。息子が日本に帰ると、手を出す代わりに「ハロー」とすれ違った人に挨拶をしましたが返事がありません。小さい頭脳で言葉の違いを理解したようで「こんにちわ!」と日本語の挨拶をする様になりましたが、それでも返事が返ってきません。いつの間にか外で挨拶をするのを止めてしまった息子は、3歳のときハワイに来た途端、水を得た魚のように元気に挨拶する習慣を取り戻しました。「見ず知らずの人に話しかけられても答えてはだめだよ。」と教えられている日本の子ども達なのでしょうが、子ども達がしっかりとアイコンタクトをしながら自由に明るく挨拶を交わせられる社会になって欲しいものです。

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ハワイのカーニバル

ハワイには常設の遊園地と呼べるものがありません。日本の遊園地でみかけるジェットコースターやメリーゴーランド、フリーフォールや回転コーヒーカップのような乗り物が楽しめれるのは、資金集めのために催されるカーニバルに移動遊園地がやって来た時です。最も有名な学校でのカーニバルは私立のプナホスクールhttp://www.punahou.eduでしょう。多くの学校のカーニバルはこのシーズン(日本なら秋)ですが、プナホのカーニバルは2月だそうです。又、ハワイ州で最も大規模なカーニバルは毎夏に開催される州のファームフェアです。ここでは乗り物だけでなく、様々な屋台や余興のテントが張られ、農産物の展示会も会場を賑やかにいたします。
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多民族社会ハワイから異文化理解に役立つ情報を発信している スクール ハウス インターナショナルの運営者です。異民族間 結婚の家庭で育つお子さんの生活環境、多民族化がすすむ日本社会 で国際人教育を必要とされている日本の子どもたちの家庭環境を 一日も早く整えるために、自分の体験に基ついて語ります。ご参考にしていただければ、大変嬉しいです。

<ノブコ タカハシ ムーア>
関東学院女子短期大学英文科卒業後、デンマークのInternational Peoples’ College で 23カ国の学生と共同生活をしながら、国際理解、国際平和を学ぶ。帰国後 民間ユネスコ活動に出会い以来30年間日本社会の国際化の最先端で様々な 国際交流プログラムを企画実施する。1993年3人の子どもたちの学校教育の為 ハワイに移民。同年それまでの体験をまとめた「集まれ!地球の子ども達」を出版。 School House International のホームページはこちら>>

第6回 お受験の秋

皆様 こんにちは!!

 そろそろ、本格的な秋を迎える時期となりました。 10月といえばお受験準備の追い込みの時期。幼稚園入園の際に既にお受験の経験を終えていらっしゃる方は別として、小学校からお受験を考えていらっしゃる幼稚園児をお持ちの親御様にとっては、今が大変な時期でしょう・・・・・。

そういうことで、今月号では“お受験”について、ご一緒に考えてみましょう。国立・私立小学校には、それぞれ学校の教育方針があり、入学考査は多種多様です。しかしながら、学校が望む児童像を総合的に考えると、以下の3点が共通のものとしてあげられます。

1. 健康であること。
2. 社会性が備わっていること。
3. 情緒が安定していること。

これらは、日頃の家庭生活や地域社会との触れ合いの中で十分に培われるものであるという観点から最も重要視されているのですが、意外に簡単なようで難しい項目でもあります。例えば、健康と言ってもまるまると太っていることではないし、逆にやせているからといって不健康かと言えば、必ずしもそうではありませんよね。
要は、簡単には病気にかからない丈夫な身体であるか、根気がなかったり、集中力に欠けたりしていないか、他人(友達や先生)と協調して生活していけるか、ということなのです。 よって、そのためには

1.バランスの良い食事を与える。
2.良いこと・悪いことの区別がつけられるように躾る。
3.落ち着いてものごとに取り組めるようにお子様が自分の力で出来るまで待つ(「早くしなさい」という言葉を極力少なくする)
  習慣を、親御様ご自身が意識を持って身につける。等が、大切なポイントと言えましょう。

ちなみに、入学試験の主な内容は以下が参考です。
〇筆記試験→学力の程度を診断するテストです。
〇制作→指示のもとで、いかに巧緻性にあふれた作品を生み出せるかを診断するテストです。
〇行動観察→協調性・社会性などを見るテストです。
〇運動能力→簡単な運動をさせ、心身の健康状態を見るテストです。
〇課題画→与えられた課題に沿って絵を完成させる理解度を見るテストです。
〇面接→二者面談、三者面談と人数は学校によってそれぞれですが、聞かれることは、
 <お子様用>名前・誕生日・お母様のことやお父様のことなど基本的な質問の他、言葉・数詞の復唱やお話し作りなど知的能力
  を試す学校もあります。
 <親御様用>なぜ、この学校を選んだのか、親御様ご自身の考え方やお家の状況を聞く学校が多いようです。

と、いう具合に、お受験に合格するためには、結構様々な課題をクリアしなければなりませんから、この時期にきっちりと準備をしておきましょう、ということです。
巷には、それらに対応するべく、お受験のための塾がさまざまなカリキュラムを用意して存在しています。
親御様がご用で塾への送り迎えができない場合や、家に赤ちゃん1人を置いて出て行かれない場合など、ピンチヒッターとして、私達ベビーシッターがお子様の塾の送迎や、お家で赤ちゃんのお世話をさせて頂くことがありますが、塾へのご同行の場合には、

1.どのような内容のお勉強をしたか
2.授業中のお子様の様子はどうであったか
3.先生からの注意事項はどんなことだったか

等を、出来る限り細かく親御様にご報告をします。
ただ、よくあることですが、親御様がえらく張り切って塾に行かせていらっしゃるのに対して、お子様はできることなら行きたくないというのが多くのお子様の本音のようです。
それはそうでしょう・・・・、塾はお受験に合格させる為に存在するわけですから、厳しい教え方をします。面接の練習時「パパは・・・」と言っただけで、「違うでしょ!お父様は、でしょ!!」たったそのことだけでも、お子様は愕然とするのです。
そんな時、「塾の先生はね、貴方に目指している学校に是非合格させてあげたいと思って協力して下さっているのよ。だから、貴方も頑張ろうよ!」と言って励ましてあげて下さい。そして、頑張ったら誉めてあげて下さい。間違ったら今度は間違えないようにしっかりと教えてあげましょう・・・、何事にもくじけずに立ち向かっていけるように、私達大人が温かく見守り、支えていってあげたいものです。

株式会社サマンサ 代表取締役 鎌田妙子

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元保育園園長、鎌田妙子が、今まで学んできた子育て理論や体験談などをもとに、子育ての悩みどころに対してアドバイスしていきます。毎回身近な事柄をテーマに、子育てアドバイスをお届けしていきますので是非ご覧ください。

<鎌田妙子> 1975年、北海道大学教育学部発達心理学研究室終了、認可施設 財団法人慈愛会保育園園長として9年間勤務。施設型保育の限界を超えるべく1986年独立。当時、日本では珍しいベビーシッター事業を立上げ、現在オフィス鎌田の代表として活躍中。

第1回 モンテッソーリ教育について ?こどもの才能は「敏感期」に決まります。?それを発見するのは、お母さんのすぐれた観察力です。

 6歳までの幼児期は、子どもにとって自分を形成する最も大切な時期に当たります。この時期の子供には、特有の行動や興味が現れます。

 子どもが誕生してから2歳頃までの様子を思い出してみてください。生まれたばかりの頃、眠って起きてお乳を飲んでうんちをするだけの繰り返しだった子が、手足をバタバタさせるようになる。指をはじめとしてあらゆるものをしゃぶるようになり、声を出して笑うようになって周りや人の顔をじっとみつめたりするようになる。

 誰も教えないのに必死になって寝返りを打とうとする時期がしばらく続いた後、ひょっこり寝返りを打つようになる。おすわりも油断するとひっくり返るほど不安定だったのが、座っていられる時間がどんどん延びていき、連続寝返りやほふく前進とあわせて部屋の中を一人で移動するようになる。
 さあ、こうなるともう目が離せません。電気のコードを引っ張ったり、ティッシュを全部引っ張り出してしまったり、いつのまにかキッチンまで来て包丁の入っている扉をあけてしまったり・・・といった嵐のような日々を思い出す方も、今まさに真っ最中という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 日常生活の中で、大人の都合にはおかまいなしに突き進むこの時期の子どもは、いったいどこへ向かおうとしているのでしょう。

 子どもは、自分が生まれてきたこの世界がどんなところなのか、どんなものでできているのか、どんな法則で成り立っているのか知ろうと、全力でこの世界に関わっていきます。そしてからだの発達と相伴って、子どもは自分でできることを次々に増やしていきます。すなわち周りの環境を取り込みながら自分を構築していくのです。
 では、大切な時期にある子どもたちに、大人はどのように関わっていけばよいのでしょうか。その鍵はモンテッソーリの考え方の中にあるといえます。

 モンテッソーリ教育を知るうえで、この時期の子どもがもっている爆発的なエネルギーの存在と、子どもが環境を吸収しながら自立への道を歩んでいることをまず知っておいていただきたいと思います。

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新宿区河田町にあるWASEDA Frontier Kids Learning Centerの園長、橋本 恵理が、自らの子育て経験を活かし、モンテッソーリ教育の内容を身近な例を挙げながら紹介。「個性と自立心を養う」教育法であることをお伝えしていきます。

<橋本 恵理 (はしもと えり)> 早稲田大学理工学部卒業。大手保育事業会社にて認可保育園や駅型保育所などの立ち 上げ経験を持つ。2003年、幼児教育におけるベンチャー企業である?フューチャーフ ロンティアーズ取締役(COO)に就任。現在、新宿区河田町にモンテッソーリメソッ ドをベースに日本人を対象としたインターナショナルスクール WASEDA Frontier  Kids Learning Centerの園長として、また2児の母としても活躍中。

第3回 「みんなの名前がビューティフル・ネーム」

Aloha! 皆様お元気のことと思います。日本では「小さい秋」が目に付く頃でしょうね。こちらハワイは四季ではなく乾季と雨季に分かれ、現在は乾季ですから日中は暑い日差しが続いています。真っ青な海と空、正に原色の世界です。

ハワイの島でも一番人口の多いこの島オアフの人口は、90万人ほどですが、人種、国籍色々なので、当然名前も色々あります。又、ハワイで生まれたからと、ミドルネームにハワイ語の名前、例えばカイ(男子)やマヘラニ(女子)をつける人もいれば、アメリカ国籍習得の際に米語名に自分の名前を変える人もいます。ですから名前だけで人種や国籍判断は困難になります。それでも多少は、生い立ちの判断の手がかりに名前が役立つことはあります。例えば、カレン・タカハシなら、日系アメリカ人、ヨーコ・ミラーなら国際結婚をしている日本人、でもカレン・ミラーとなるともう解りません。カレン・ヨーコ・ミラーとミドルネームに日本名がついていると、親が日本人なのか、アメリカ人に帰化した人なのか、日本との関係がありそうだと推測は出来ます。さらに中国名、韓国名、フィリピン名、ラテン系の名前やアフリカ系の名前があるのですから、大変複雑です。名前の固定概念は禁物です。こうなると、個人名を正確なスペルで覚えることが重要になってきます。

それでもハワイの人達は、結構器用に色々な名前を上手に発音します。これも南国に生活する人達のおおらかな気質の為のようです。多少発音が違っても、いちいち目くじらはたてませんから。アメリカ本土の白人コミュニティーからハワイに引越したアメリカ人が、ハワイに来てカルチャーショックをうけるのはこの名前にも原因がありそうです。

我が家の子ども達の名前は、主人と私の名前からとったアルファベットを組みなおした名前です。シェラードとノブコから、コシェノ(長女21歳)、シェブラ(次女20歳)、シェノン(長男13歳)と名前をつけました。主人の先妻はマリリンなので、彼の長男(現在ハリウッドで活躍中:www.shemar.com))はシェマーとなりました。これだけバラエティのある名前に慣れているハワイでも、我が家の子ども達の名前の語源は想像外のようで関心されますが、要は自分の両親を忘れないようにとの計らいです。

1980年国連の制定した国際児童年の年、その年の日本のテーマソングとも言える「ビューティフル・ネーム」が、ゴダイゴというグループの歌声で日本全国に流れました。若いお父様、お母様には、この歌をご存知ない方も多いと思いますが、私には色々な思い出があります。「名前それは燃える命、一つの地球に一人ずつひとつ?。呼びかけよう名前を、素晴らしい名前を?。」といった内容の歌詞は、奈良橋陽子さんの作詞です。確か幼い時期をカナダで育った方と記憶しております。1981年私が働いていた神戸ポートピア博覧会会場には、いつもこの軽快な歌が流れていましたし、1989年横浜博覧会に参加したバイカルチュアル・チルドレン(国際結婚家庭の子ども、帰国子女、在日外国籍の子どもたちを集めて日本の子供たちと異文化理解活動をしておりました。)の催し物「集れ!地球の子ども達」(私の著書はこのタイトルから取られたもの)のテーマソングにもこの歌を選びました。その時は、奈良橋陽子さんからお祝いのメッセージをいただきました。1998年ホノルルでNHKのど自慢が開催された時、高校生になっていた私の二人の娘が予選に参加。その時選んだ歌が、やはりこの歌でした。全部の歌詞を入手するのに、ハワイで牧師さんになられた元ゴダイゴのメンバーのお一人と連絡を取ったこともありました。

現在では日本でも、ハワイに負けずに様々な名前をお子さんに選んでらっしゃるようで、大変良いことだと思います。10年前、先に記したバイカルの活動で名前が子供たちに大きな問題であることを知らさせたこともありました。カンボジア国籍のモニカちゃん、日本人と同じ顔なので保育園では自分の本当の名前を呼んでもらえませんでした。バイカルの活動に参加して、自分の本当の名前を皆から呼んでもらって嬉しそうにしていた彼女の顔を思い出します。イギリスから帰国して日本の学校に行っていた両親が日本人のアンちゃん。漢字名もあるのに、「日本人の名前が欲しい」とお母さんに泣いて訴えました。「困ったわね、あなたの名前はお父さんもお母さんも始めての子でとっても嬉しくて、世界中で一番素敵な名前だと思って付けたのに……」その時のお母さんの言葉に、彼女は自分の名前を二度と変えて欲しいとは言いませんでした。ですから、「集れ!地球の子ども達」のフィナーレに、ステージの上で皆で大合唱をした「ビューティフル・ネーム」は子ども達の気持ちが一杯込められ、熱唱となったのも当然でした。

皆さんもお子さんと一緒に、是非この歌を歌ってください。 http://columbia.jp/~godiego/”>http://columbia.jp/~godiego/
http://www15.big.or.jp/~mios/minnanouta/ha/name.html

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ハワイの子どもの祝い
子どもの健やかな成長を願う親の気持ちの表し方は色々ですが、ハワイでは一歳のお誕生日を実に盛大に祝います。これは幼児死亡率が高かったポリネシア系ハワイ人の風習が起源のようです。招待客も100人から500人等、子ども中心のアトラクションが多いのですが、まるで結婚祝いのような騒ぎです。一方それぞれの民族の伝統的祝いをする親もあります。例えば、子どもに着物を着せて当地の神社で七五三の祝いをする日系人もおります。
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多民族社会ハワイから異文化理解に役立つ情報を発信している スクール ハウス インターナショナルの運営者です。異民族間 結婚の家庭で育つお子さんの生活環境、多民族化がすすむ日本社会 で国際人教育を必要とされている日本の子どもたちの家庭環境を 一日も早く整えるために、自分の体験に基ついて語ります。 ご参考にしていただければ、大変嬉しいです。

<ノブコ タカハシ ムーア>
関東学院女子短期大学英文科卒業後、デンマークのInternational Peoples’ College で 23カ国の学生と共同生活をしながら、国際理解、国際平和を学ぶ。帰国後 民間ユネスコ活動に出会い以来30年間日本社会の国際化の最先端で様々な 国際交流プログラムを企画実施する。1993年3人の子どもたちの学校教育の為 ハワイに移民。同年それまでの体験をまとめた「集まれ!地球の子ども達」を出版。 School House International のホームページはこちら>>